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当時の人々の学習の様子

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

 天和3年(1683)京都の淵岡山は、仙台の亡母の墓参りの帰り道、門人富松祐庵、斎藤玄佑等を従えて会津に立寄った。北方(喜多方)を訪ねたのは、謙安や方秀らの願いが京都に通じ、それが実現したといわれる。滞在日数は不明であるが、方秀宅にも宿泊し、学徒同志との親交、研鑽を積んだという。
 岡山の会津への滞在の様子や当時の人々の学習の様子については『会津藩家世実紀』天和3年1683)12月27日の項から知ることができる。

  • 岡山が会津に滞在したのは天和3年(1683)4月18日から5月2日までであったこと。
  • 学徒たちの学習は「心学」と呼ばれ、町郷村に多くの弟子たちが存在していたこと。
  • 弟子たちの学習会は「清座」と呼ばれ、良知、意念などの言葉を学び、平常の心持ち、朝夕の身持ちについて話し合い、善悪をわきまえ、善良で正しい心をお互いに磨きあい、忠孝を励まし、明徳を明らかにすべく学んでいること。
  • 使用される書籍は、四書(大学・中庸・論語・孟子」や孝経・翁問答・春風などで、女性には鑑草を読み聞かせ、語り聞かせていること。

 
 藤樹学徒の集会は、「清座」と呼ばれ、会場はおもに郷頭や肝煎の家が選ばれ、夜間の集会が多かった。会への参加者は「町郷村共に千人程も有之」といわれ、岡山の会津での講釈以後、一層の隆盛をみることになる。
 「清座」には、三カ条からなる「会約」がつくられていた。学習の始まる前、必ず読誦していう。

会 約

  • 一、凡そ学友の集会、以謙虚為主、以任的為要、可求輔仁之益
    (凡そ学友の集会には謙虚を以て主となし、任的を以て要となし輔仁の益を求むべし)
  • 一、雑談、戯語禁之、若議論絶、則黙止可存養
    (雑談、戯語はこれを禁ず、議論絶ゆれば則ち黙止して存養すべし)
  • 一、飲酒不可過、三行勿献酬而強之、不可及大盃
    (飲酒は三行を過ぐべからず、献酬する勿れ、これを強うるも大盃に及ぶべからず)
  • 右条々各自可慎弁、過而違之則宜規制焉
    (右条々各自慎弁すべし、過ってこれに違わば則ち宜しく規制すべし)
  • (「北川子文書集」藤樹書院蔵)

 この外、「白文孝経」や「太上感応篇」も誦経されていた。喜多方市郷土民俗館に保存されている「孝経巻物」は、孝経のみの木版印刷と、別に孝経の末尾に太上感応篇が付載されているものである。


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