致良知(りょうちをなす)
良知とは、人が生まれながらに持っている正しい知力のこと。是非・善悪・正邪を知る心の先天的なはたらきのことをいう。
致良知は、『大学』にある「格物致知」という言葉に対する解釈である。
朱熹は「知を致すは物に格(いた)るに在り」とし、万物の理を一つ一つ極めて行くことで得られる知識を発揮して物事の是非を判断するとすると解釈した。「知」を知識と解して、致知とは知識を推し究めすべてを知り尽くすことだとした。
王陽明は、朱子の解釈を知識の量的拡大だけを求めるものとして批判し、「知を致すは物を格(ただ)すに在り」として物を心の理としてそれを正すことによって知を致す、すなわち「良知を致す」ことであると解釈した。
「格」を「正す」と読み、格物とは心の不正を正すことだとした。致知については、「知」を「良知」と解釈して、心に本来そなわっている良知を拡充、発揮することだと考えた。
つまり、人間は、生まれたときから心と体(理)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致する。私欲により曇っていない心の本体である良知を推し進めればよいとした。