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北方地方の新田開発

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

再蒲生時代

〈喜多方〉

【大荒井新田】元和元年(1615)
【堀出新田】元和3年(1617)、瓜生利右衛門が開く。
【村松新田】元和6年(1620)、上野勝左衛門が開く。

〈塩川〉

【下小出村】大塩川西岸。慶長4年(1599)、蘆名旧臣の神田右馬允季順が開く。

〈山都〉

【川吉新田】元和9年(1613)。

加藤氏時代

〈喜多方〉

【北原新田】寛永15年(1638)

〈塩川〉

【上原新田村】(雄国山東斜面)寛永12年(1635)、猪苗代旧臣の大堀石見長重の子、善右衛門宗道が開く。初め大原新田と呼ぶ。

開発年代不明(再蒲生・加藤氏時代に開かれたものと推定)

〈喜多方〉

【新田】 見頃村の端村。
【窪田新田】 綾金村の端村。現在、綾金新田と呼ぶ。
【小館】 新宮村の端村。現在、新宮新田と呼ぶ。
【重壇新田】 堀出新田の端村。現在、中江と呼ぶ。
【勝本新田】 小沼村の端村。
【山神新田】金沢村の端村。
【道地新田】 館村の端村。
【大川入新田】 入田付村の端村。

〈塩川〉

【馬場新田】雄国山麓に近い日橋川北岸。

〈北塩原〉

【小森山新田】年代不明。下川前村の端村

保科・松平時代

〈喜多方〉

【滝沢】承応元年(1652)、高柳村の神職山本紀伊の五男茂兵衛がを開く。高柳村の端村。
【雄国新田村】万治3年(1660)、大塩組(後の小沼組)の代官、大塩平左衛門が、大小16の集落を開く。
【八町(丁)】寛文3年(1663)、熊倉村の西側にが開く。熊倉村の端村。
【菅沼】寛文7年(1667)、中田付村から別れて関柴村の端村となる。
【二軒在家】寛政7年(1795)一堰村の一区。
【反田】寛政9年(1797)見頃村から出る。見頃村の端村。
【八軒家】寛政10年(1798)一堰村の一区。廃田を再興。

〈塩川〉

【松崎新田】寛文6年(1666)
【新田】田中村の端村。
【新田】深沢村の端村。

〈熱塩加納〉

【赤崎新田】寛文3年(1663)
【上ノ山新村】天保8年(1837)明治4年「若松県人員録」に金屋村の端村と記されている。開発年代は伝承による。

山都〉

【三山新田】寛文4年(1664)、堂山村の宮城某。宮城某は木曽村の郷頭。

江戸後期

〈喜多方〉

【飯田】明治4年「若松県人員録」による。
【泉】明治4年「若松県人員録」による。
【補五免】明治4年「若松県人員録」による。
図:北方地方の新田集落(『喜多方市史2』より)[PDFファイル/27KB]

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