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喜多方中学校(大正7)※今の喜多方高校

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

県立喜多方中学校の画像
県立喜多方中学校

 喜多方町長原平蔵を中心とする県立中学校設立運動が実を結び、大正5年(1916)11月、福島県議会で喜多方中学校設立の議案とその予算も可決された。
 しかし、運動の中心人物として活躍した原平蔵(町長)・岡野辰次郎(県議)・物江浩(同)・田中盛雄(同)・田部善志(耶麻郡会議長)ら10人は、耶麻郡や喜多方町の費用を使って、政治家(政友会・民政党)や県会・郡会の議員たち、新聞記者などを福島市や若松市の料亭に招いて饗応や贈賄を行なったとして涜職(とくしょく)横領の罪を問われた。
 原平蔵らは福島地方裁判所で裁かれ、この問題は「喜多方中学校事件」として新聞でも大きく報じられた。
 校舎敷地の選定をめぐっては、東町(旧小田付村)と西町(旧小荒井村)との対立があり、喜多方町会(町議会)も紛糾した。
 校舎敷地は西町(旧小荒井村)の字水上一現・字桜ガ丘一丁目)に内定していたが、東町(旧小田付村)居住民たちは土地の寄付願を提出し、さらに出雲神社境内で東町町民大会を開いて気勢をあげた。この大会で、東町に敷地が決定したならば、工費の一部を寄付することを決め、代表2名を福島に派遣することを決めた。
 大正6年(1917)4月10日、県立喜多方中学校の設置が認可され、翌大正7年(1918)4月1日、字水上の現在の喜多方高等学校の場所に創立された。
 創立第1回の入学式は、4月6日に行われ、入学試験により志願者180名から選ばれた100名が第1回の入学者となった。


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