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自由民権運動と原平蔵

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

弾正カ原(塩川町郊外)

喜多方警察署押し寄せのもととなる集会が開かれた。
 明治11年(1878)11月創設の自由民権結社「愛身社」(喜多方町)に加わり、同13年仙台で開催された東北七州会に愛身社を代表として出席したころから頭角をあらわす。
 同年10月、国会期成同盟の第2回大会に遠藤直喜と出席、中央政界の空気を吸い一層政治的活躍に入り、自由党会津部の結成の中核となる。
 三方道路開削にあたっては、六郡連合会議員に選ばれるが、三島県令の専断政治と対立、特に新合村で代夫賃未納の家財公売で郡長を告発したが、逆に誣告罪で逮捕される。
 このことがキッカケとなって喜多方事件(明治15年11月28日)が起こり、国事犯及兇徒集衆教唆者とされたが、上告して無罪となった。しかし、官吏侮辱罪で再び捕えられ1年程の実刑に処せられた。


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