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喜多方訓盲学校(明治41)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日更新

 盲人佐藤新六ほか3名の主唱により、町長原平蔵その他有志の援助を得て、明治41年(1908)7月18日、「喜多方訓盲講習所」として創設された。
この講習所では、毎月10日に盲人たちを集めて生理解剖の講演を聞かせ、少年の盲人たちには毎日、按御鍼(按摩や鍼灸の学)と普通学科を教えた。
 翌42年9月、東宮(のちの大正天皇)の東北行啓に際し、原町長らはこの訓盲講習所の事業を長く継続しようとはかり、同年9月15日に改めて発会式を挙げ「喜多方訓盲学会」と改称した。
訓盲学会は明治43年度から、喜多方町・耶麻郡より経費の補助を受け、福島県より事業基本金として交付された金額を財源として経営した。
 明治45年5月10日、喜多方訓盲学会は県の認可を得て「訓盲学校」と改称した。それ以来、盲人教育の効果は見るべきものが大いにあらわれ、郡内各地より入学するものが増加した。
普通学科では修身・国語・算数・地理・歴史・理科を、技芸教科では生理・解剖・病理・診断・按摩および鍼治を教えた。
 喜多方訓盲学校は喜多方医師会の経営となり、休校の年もあったが、昭和12年(1937)まで続いた。


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