ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

会津藤樹学道統譜序

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

 天下に至徳要道あれば民は和睦し、上下に怨なしと孔子は曽子に教えている。孝は百行の源で父母を愛する良心を持たない者はない。しかし、これを失う者がいて藤樹はこれを憂う。人は皆固有の良知を備えている。この良知は国を治め天下を平和にし、小人を君子とするための大切な教えである。
 明徳を明らかにしようとすれば、まずその国を治め、国を治めようとするものは、まず家を斉(ととの)え、家を斉えようとする者は、まず自分を修め、自分を修めようとするものは、まずその心を正し、意を誠にし、ただ意を誠にしようとする者は、まずその知を致し、知を致すことは物を格(ただ)すことである。これらの教えは堯・舜・禹に引き継がれ、文武周公・孔子・曽子に伝えられ、子思が孟子に伝え、その後、宋・明の時代には程子・朱子・王子(王陽明)と受け継がれ、これがわが藤樹に引き継がれたのである。藤樹はこれらを孔門伝授の心法と知覚し、さらに王子の書を読み、良知の幽妙を説いている。藤樹学を岡山に伝え、岡山子から会津三子や難波先生に継がれ、以後、田中善立・二見直養に伝え、島影子から会津の井上安貞・中野義都に伝えられ、それが坂内親懿に受けつがれている。その間、門人は多いとはいえ、真に良知の微妙を修め終えたとは認め得ない。近世の藤学が衰え、今に受け継ぐ者がなく、後々に君子が出て藤樹学を再興し道統を継承してくれるならば、甚だ幸である。

一馬附記

道統譜に載せらせている数十人は会津北郷の藤学中でも優れた人たちで、五十嵐・遠藤・東條の三人は岡山先生に親しく接し感化を受け、北郷の三子といわれている。この時分の北郷の藤学は最盛期を迎えていたが、三子没後は曽祖恕三君に至るまで40~50年は継承者がなかった。恕三君が出てこれを振興させ、藤樹先生の遺墨を奉じて一社を結び、同志を糾合して旧に復している。恕三君の没後、親馨にいたるまで20~30年間は藤樹学が頓挫している。これをなげき遺書を収録し、苦心して道統譜を編んでいる。
 しかし、その後は維新の騒乱に遇い心ざしを得ず没している。今一馬謹んで其の概略を補記する。大正5年2月
会津藤樹学道統譜 三浦親馨編


このページの先頭へ