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青柳善吾の年譜

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年10月7日掲載
  • 明治17(1884) 4月1日、福島県耶麻郡上三宮村大字吉川北中136番地(現喜多方市上三宮町)生まれる。父・小川清吉、母・キクの三男
  • 明治18(1885) 母キク(43歳)死去により喜多方町字緑町4497番地、青柳友次郎、妻ワイの養子となる。
  • 明治25(1891) 青柳友次郎夫妻と福島へ移住。福島県師範学校附属小学校に入学する。
  • 明治33 (1900) 福島県大沼郡宮下小学校代用教員となる。(16歳)
  • 明治34 (1901) 4月、福島県師範学校簡易科(尋常小学校教員を短期間に養成する教員養成機関)入学。(17歳)
  • 明治36 (1903) 7月、福島県師範学校簡易科卒業。尋常小学校本科正教員の資格を取得。福島県安達郡下太田尋常小学校に訓導(旧制小学校の正規の教員)として赴任。(19歳)
  • 明治39 (1906) 9月、福島県小学校音楽科正教員の資格を取得。(22歳)
  • 明治40 (1907) 5月、福島市福島第一高等小学校へ転任、音楽科専科正教員となる。(23歳)
  • 明治41 (1908) 4月、東京音楽学校(東京芸術大学音楽部の前身)甲種師範科入学。(24歳)
  • 明治44 (1911) 3月、東京音楽学校甲種師範科を卒業。高等学校音楽科教員資格取得。鹿児島県第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)教授、鹿児島市鹿児島高等小学校(現鹿児島市立名山小学校)訓導として赴任。(27歳)
  • 大正2 (1913)  2月、名古屋市第二高等小学校訓導音楽科正教員として赴任。(29歳)
  • 大正4 (1915)  4月、大正天皇御大典即位式供納の悠紀斎田御田植謡の楽譜作成により、「大礼記念文証」を受ける。(31歳)
  • 大正6 (1917)  4月、名吉屋市小学校音楽科視学を委嘱される。名古屋市初の混声合唱団(四声会)を設立。(33歳)
  • 大正9 (1920)  7月、神奈川県横浜市青木小学校訓導(唱歌科勤務)となる。横浜市小学校唱歌科指導を委嘱される。(36歳)
  • 大正10 (1921) 横浜市立教員養成所の講師を委嘱される。(37歳)
  • 大正11 (1922) 9月、東京高等師範学校訓導の辞令を受け、同校附属小学校訓導となる。(38歳)
  • 大正12 (1923) 10月、第四臨時教員養成所(東京音楽学校内に中等学校音楽教員の需要に応じるために設立された機関)から講師の委託を受ける。(39歳)
  • 昭和3(1928) 今上天皇大礼奉祝楽譜並、明治節楽譜作成審査委員委嘱。
  • 昭和5(1930) 高等官五等従六位拝叙
  • 昭和6 (1931)  8月、文部省より音楽教授法研究のためドイツ在留を命じられる。9月、塚本寿美子と結婚(福岡県出身、明治39年生、高等師範科卒、長男善美・長女普子・二男善)。10月、ドイツへ出発。(47歳)
  • 昭和7 (1932)  11月、帰国。武蔵野音楽学校(現武蔵野音楽大学)の臨時講師として音楽教育法の集中講義を十数年継続して行う。(48歳)
  • 昭和15 (1940) 9月、文部省より教科用図書調査を委託される。(56歳)
  • 昭和24 (1949) 6月、文部事務官に任命される。(65歳)
  • 昭和25 (1950) 武蔵野音楽大学短期大学部講師。(66歳)
  • 昭和26(1951)2月、武蔵野音楽大学評議員に推される。(67歳)
  • 昭和29 (1954) 武蔵野音楽大学短期大学部教授。(70歳)
  • 昭和30 (1955) 6月中旬軽微な脳溢血を発病し、治療のため武蔵野音楽大学短期大学部退職
  • 昭和32 (1957) 永眠(東京都小平霊園に埋骨される)。(73歳)

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