ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 分類でさがす > くらしの情報 > 教育・文化・スポーツ > 生涯学習 > > 原平蔵 > 岩越鉄道(現・磐越西線)の敷設に奔走(明治27)
トップページ > 分類でさがす > 観光情報 > 文化・教育 > 文化・スポーツ > > 原平蔵 > 岩越鉄道(現・磐越西線)の敷設に奔走(明治27)

岩越鉄道(現・磐越西線)の敷設に奔走(明治27)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日更新

開通した喜多方駅前通りの画像

開通した喜多方駅前通り

岩越鉄道は、明治24年(1881)、官設鉄道敷設運動として始まったが、明治27年に私設鉄道運動に変わり、明治30年5月岩越鉄道株式会社が認可され、明治32年7月に郡山・若松間が開通した。若松・喜多方間の敷設に路線変更問題が起きたが、町役場・町民・耶麻郡長らの官民一致の運動で、明治37年、喜多方駅まで開通した。そして大正3年に新津まで全通した。喜多方までの開通にあたって頻繁に文書に出てくる人々に原平蔵・唐橋左源次・飯野庄三・宇田成一・土屋重郎等がいる。


このページの先頭へ