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喜多方小学校建築(明治27)

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

喜多方小学校画像

喜多方男子小学校生徒による有栖川宮殿下台覧体操(明治42年)

喜多方小学校の変遷

 明治5年(1872)7月の学制公布に基づいて、耶麻郡は27の区に分けられ、それぞれ学校を設置することとなった。
 明治6年4月25日、第13小学校区として万福寺に、5月に第14小区学校が安膀寺に設置された。
 明治7年12月、学区を104の小学区に改め、数区を合わせて一校を置く聯区制とした。
 明治8年8月、行政区画改正が行われ、小田付・小荒井・塚原・清次袋・稲村の5カ村合併して喜多方町をつくり、学校名も小荒井小学を第一喜多方小学校、小田付小学を第二喜多方小学校と改称した。また、上勝が第二喜多方小学校組合に加えられた。
 明治9年9月には綾金を第一喜多方小学校に含めた。
 明治10年3月、第二喜多方小学校が村松に出張校を設ける。
 明治11年4月、上田を第二喜多方小学校から分離。
 明治12年、第二小学校校舎を字惣座宮2788番地に建て、万福寺から移ったが、明治14年1月、塩川から郡役所が移転し、校舎を郡役所の庁舎として使うことになったため再び万福寺を教場とした。郡役所の建築で校舎に戻ったが、郡役所の火災でまた万福寺に移り、明治17年10月、郡役所の再建によって戻った。その間、明治12年6月から明治18年2月まで、稲村に出張校が置かれた。
 明治12年6月から、塚原・高吉・綾金・太郎丸を学区とする塚原小学校が願入寺に開設され、明治18年2月まで存続する。
 明治12年、第一小学校の大飯坂出張校を開設。明治13年8月8日、安勝寺焼失によって教場を失い、一時休校、翌年仲町の民家を借りて開設し、次いで上町4570番地の元区会所跡を改修して教場とした。
 明治18年4月頃から、両校の合併を念頭において合併教授を試み、校舎分離のままで、明治19年1月9日、喜多方小学校に統一する。
 明治20年5月、喜多方町・村松村・大飯坂村・米室村・沢部村を学区とする喜多方高等小学校と改称、村松と高吉に分教室を置いた(22年4月廃止)。
 明治21年3月、喜多方高等尋常小学校とする。
 明治22年町村制実施によって学区は喜多方町だけとなる。
 明治25年、校舎不足分を新町の民家を借用して収容する。
 明治26年3月喜多方尋常高等小学校と改称、同年4月17日、7ヵ所に分散して行っている授業の実状を解消するため、現在地に校舎建築の事業に着手、総工費5202円をもって、敷地7反4畝16歩を買収、541坪の校舎および付属建物を建て、明治27年7月竣工、8月1日落成式を行った。
 明治29年8月、東袖に平屋建1室(教員養成所として郡が建てた)と、明治30年8月、西袖続きに2階建2室を増築する。
 明治39年6月6日、女子を分離して、喜多方男子尋常小学校(字水上6869)と喜多方女子尋常高等小学校(字沼田6937)の2校舎とした。もちろん同一校地を2つに分け東側が男子校、西側が女子校という配置になっていた。
 明治40年10月、男子校に雨天体操場と付属廊下を建築。
 明治44年、女子教室が不足して二部授業としているのを解消するため、165坪の増築を行い、翌年5月竣工する。
 大正8年(1919)、女子校に屋内体操場(105坪、工事費12,568円)を建てる。
 大正14年3月31日、男・女の両校を合併して、喜多方尋常高等小学校とする。
 大正15年9月10日、元女子校舎から出火。
 昭和2年(1927)、東校舎落成(後に「北校舎」と改称)。
 昭和10年、東校舎増築。昭和11年、講堂をつくる。昭和13年、理科室落成。
 昭和16年4月1日、喜多方町国民学校となる。
 昭和22年4月1日、喜多方町立喜多方小学校と改称。
 昭和29年3月31日、喜多方市立喜多方小学校と改称。
 昭和30年4月1日、喜多方市立第一小学校と改称する。同月日、字六百苅7373番地に喜多方市立第二小学校が開校した。


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