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瓜生岩子年表

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年2月25日更新
瓜生岩子年表
西暦 年号 年齢 主なできごと
1829年 文政12年 - 2月15日岩子誕生 父利左衛門、母りえ
1837年 天保 8年 9歳 父急死、火災で家が焼ける。母と弟の3人で、熱塩の母の実家山形屋に身を寄せる
1842年 天保13年 14歳 叔父、若松御番医師山内春瓏のもとに見習いに行く
1845年 弘化 2年 17歳 佐瀬茂助と結婚、呉服商「松葉屋」を営む
1849年 嘉永 1年 20歳 長女つね生まれる。翌々年、祐三生まれ、更にとよ子、とめと4人の子どもをもうける
1855年 安政 2年 27歳 叔父、山内春瓏死去
1862年 文久 2年 34歳 夫死亡(40歳)、子ども4人をそれぞれ託す
1863年 文久 3年 35歳 母死亡
1864年 元治 1年 36歳 店を閉じ小田付(喜多方)に転居する
1868年 慶応 4年 40歳 戊辰戦争の際、若松に駆けつけ戦傷者の手当てをする
1869年 明治 2年 41歳 旧藩士の子弟のため「小田付幼学校」を建てる
1871年 明治 4年 43歳 幼学校を閉じ、東京・深川の救養会所に学ぶ
1872年 明治 5年 44歳 小田付に救養会所会津支部の設立に奔走する
自宅で裁縫・機織りを教え、生活困窮者の相談相手となる
1879年 明治12年 51歳 下岩崎の長福寺を借り裁縫教授所をひらく
1882年 明治15年 54歳 三島通庸(みちつね)と知り合う
1887年 明治20年 59歳 県知事平田折内の勧めで福島長楽寺門前に転居各郡に教育会の設立をうながし、堕胎・棄児の防止を説く
1888年 明治21年 60歳 水飴製造の改良、飴粕の利用法を県下に伝授しあるく
1889年 明治22年 61歳 福島救育所の設立が認可される
1891年 明治24年 63歳 国会に「婦人慈善記章の制」を請願する
東京養育院幼童世話係長となる
若松に育児会できる
喜多方に産婆研究所を設立する
1892年 明治25年 64歳 福島に「瓜生会」を結成する
喜多方・坂下に育児会できる
1893年 明治26年 65歳 福島鳳鳴会に育児部を設置する(愛育園の前身)
若松に私立済生病院を設置する
1894年 明治27年 66歳 東京下谷に「福島瓜生会支部水飴伝習所」を設立する
日清戦争の傷病兵救護として水飴30貫を寄贈する
1895年 明治28年 67歳 包帯の裁ち屑で記念織をつくり皇后陛下の上覧に供する
1896年 明治29年 68歳 藍綬褒章を受ける
三陸津波被災者のためのバザーや募金を行なう
1897年 明治30年 69歳 福島で過労のため病臥し、4月19日生涯を終える
熱塩の示現寺に葬られる
1924年 大正13年 従五位追増される

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