代表的な文化財と神社仏閣
印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日更新
【喜多方エリア】
名称 | 年代 | ガイド | |
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糠塚古墳群 (ぬかつかこふんぐん) |
4~6世紀 | 喜多方地方随一の規模をもつ方墳群(県指定史跡) | |
旧手代木家住宅 (きゅうてしろぎけじゅうたく) |
天保年間 | 江戸時代後期の村役上層農民(肝煎)の住宅。 蔵の里に移築保存(県重文) |
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旧外島家住宅 (きゅうとしまけじゅうたく) |
明和8年 (1771年) |
江戸時代中期の村役上層農民(郷頭)の住宅。 蔵の里に移築保存(県重文) |
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新宮城跡 (しんぐうじょうあと) |
建暦2年 (1212年) |
会津領有を命じられた佐原十郎義連の孫で新宮六郎左衛門尉時連が築いたといわれている。 |
名称 | ガイド | 所有文化財 | |
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願成寺 (がんじょうじ) |
嘉禄三年-安貞元年(1227年)創建の古刹。2.41mの会津大仏と脇侍は、東北では珍しい来迎三尊像で国の重要文化財。海の日阿弥陀如来祭礼 | 木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(国重文) | |
熊野神社 (くまのじんじゃ) |
天喜3年源頼義の勧請の古社。拝殿の長床をはじめ神殿本殿、文殊堂など重文級の社殿社宝を残す。長床は、藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式をふんだもの | 熊野神社長床・銅鉢(国重文)・銅鐘・銅製鰐口・本殿・御神像・文殊菩薩騎獅像牛王版木他(県重文) | |
太用寺 (たいようじ) |
ご本尊は、1.64mの木像(寄木造り)釈迦如来像。これにより、奈良の西大寺を中心とする律宗の流れが会津地方まで及んでいたことがわかる。 | 木造釈迦如来立像(県重文) | |
中善寺 (ちゅうぜんじ) |
本尊の薬師如来は、藤原仏の特色はよく伝えている。 | 木造薬師如来坐像(国重文) | |
勝福寺 (しょうふくじ) |
昔、京都から松島へ行く途中この地で亡くなった「勝の前」の冥福を祈って建てられたといわれている。 | 勝福寺観音堂(国重文)、木造不動明王立像、木造毘沙門天立像、銅鐘(県重文) |
名称 | 年代 | ガイド | |
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伝・佐原義連の墓 (でん・さわら よしつらのはか) |
室町時代 | 会津藩主の始祖である佐原義連は、源頼朝より会津一円を賜り、半在家に居城を築いた。(県重文) |
名称 | ガイド | 所有文化財 | |
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示現寺 (じげんじ) |
平安初期、空海の建立。1375年に源翁禅師が護法山示現寺として再建した。座禅の体験(有料、要予約)もできる。 | 椿彫木彩漆笈(国重文) |
名称 | 年代 | ガイド | |
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御清水 (おしみず) |
1642年 | 昔、日橋川と大塩川の合流点近くに18m四方の泉があり、ここから塩水が湧き出し日橋川に注いだので、「塩川」という地名がついたとも伝えられる。 | |
弾正ヶ原 |
1882年 | 栗村家17代栗村弾正清正の墓所があり、かつては駒形ヶ原ともよばれた。明治15年11月の自由民権運動時、喜多方から若松へ向かった農民たちが集会をもった場所。 | |
別府の一里塚 (べっぷのいちりづか) |
1608年ごろ |
会津五街道の一つ、米沢街道沿い(現在の県道熊倉-塩川線)にある。一里塚は江戸時代に至って整備された道程の目安(一里は約4km)。東西の両塚がほぼ完全に残る、貴重な文化遺産。 |
県指定史跡 |
名称 | ガイド | 所有文化財 | |
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竹屋観音寺観音堂 (たけやかんのんじ) |
竹屋集落にある大雲山観音寺本堂に隣接する観音堂。会津三十三観音の第八番礼所で、多くの参拝者が訪れる。 | 木造如意輪観音坐像(県重文一彫刻) |
名称 | 年代 | ガイド | |
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旧一ノ戸村制札場 (きゅういちのとむらせいさつば) |
1830年から1844年 | 古くは米沢へ抜ける街道筋でもあり、村人へ知らしめた制札場を今も見ることができる。県内で唯一現存するもの。 | |
蓮沼門三誕生の地 (はすぬまもんぞう たんじょうのち) |
明治時代 | 明治生まれの社会教育家。修養団創設者。「愛なき人生は暗黒なり、汗なき社会は堕落なり」 | |
一ノ戸川鉄橋 (いちのとがわてっきょう) |
明治43年(1910年) | 完成当時東洋一といわれた石造りの鉄橋。長さ445m、高さ17m |
名称 | ガイド | 所有文化財 | |
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泉福寺 (せんぷくじ) |
天明2年(1782年)に鋳造された梵鐘が有名。 | 木造大日如来坐像(県立博物館貸出)(県重文)梵鐘 | |
久昌寺 (きゅうしょうじ) |
十一面観音菩薩坐像 | ||
飯豊山神社 (いいでさんじんじゃ) |
女人禁制の神聖な山として尊ばれてきた飯豊の頂上にある。 | 銅造五大虚空蔵菩薩坐像(県重文) |
名称 | 年代 | ガイド | |
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小野小町塚 (おののこまちづか) |
不詳 | 平安時代の女流歌人小野小町が年老いて故郷の出羽ノ国へ帰る途中この地で病に伏し、村人の手厚い看護もむなしくこの世を去ったという哀話が伝えられている。 | |
化粧清水 |
不詳 | 小野小町塚のそばにあり、小町が化粧の鏡水として用いたといういわれがある。 | |
塩坪化石層 (しおつぼかせきそう) |
新第三紀中新世 | 約1000万年前の砂岩層で、クジラやサメ、アシカなど海にすむ哺乳動物の他、巻貝や二枚貝などの化石が大量に埋れている。昭和55年に「アイヅタカサトカイギュウ」が発見された。 |
国重文..国指定重要文化財。県重文...県指定重要文化財
※喜多方の神社・仏閣については「喜多方観光物産協会のページ<外部リンク>」もご覧ください。