「慶徳稲荷神社の御田植祭」が国の重要無形民俗文化財に指定されました!
田植式・神田での早乙女による田植え 白狐が苗を投げ込む
平成31年3月28日、本市の「慶徳稲荷神社の御田植祭」が、「伊佐須美神社の御田植祭」(会津美里町)とともに、「会津の御田植祭」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。重要無形民俗文化財への指定は、本市では初のことで、県内では9件目となります。
福島県内の国指定重要無形民俗文化財
指定名称・保護団体
名 称:会津の御田植祭
団 体:慶徳稲荷神社お田植まつり保存会(喜多方市)
御田植祭祭典委員会(会津美里町)
祭 日:7月2日(喜多方市、閏年は7月1日)、7月12日(会津美里町)
「会津の御田植祭」とは?
御田植祭とは、神田などで氏子が儀礼的な田植えを行って豊作を祈る祭りのことをいい、西日本を中心に広くみられます。会津地方は、近世以前から行われている御田植祭の日本の北限に位置し、その分布を考える上で非常に重要です。
また、会津の御田植祭にのみ、「デコ人形(田植人形)」と呼ばれる独特の人形が登場します。これは田の神の依代とも考えられ、田植えの際には田の畦に立てられます。
このように地域的特色も豊かであり、稲作に関係する農耕儀礼を考察する上でも大変貴重です。会津地方の御田植祭で、今日まで伝統的な形を継承しているのは慶徳稲荷神社、伊佐須美神社の両御田植祭のみとなっています。
東北地方の御田植祭の分布
境内に立てられるデコ人形
「慶徳稲荷神社の御田植祭」の歴史と特徴
両祭とも、その始まりは中世にまで遡ります。慶徳稲荷神社は、明応年間(1492~1501)、慶徳村の地頭であった平田石見守が神田を寄進したことが始まりとされています。江戸時代に入って一時中断しますが、会津藩の庇護もあり、天保5年(1834)に再興され、今日まで継承されています。
祭日は、慶徳稲荷神社では半夏生の日(7月2日、閏年は7月1日)に行われます。祭りは、社殿での神事の後、地区内を神輿が渡御して、神田で早乙女による田植えが行われます。
慶徳町では神輿渡御に狐の面と農具を持った子ども達(白狐)が加わり、早乙女が稲苗を植える際に苗を投げ入れ、田植えを手伝います。これは慶徳町でのみ見られる光景で、白狐は市立慶徳小学校男子児童、早乙女は女子児童が担当します。
神田前で行われる早乙女踊
渡御行列に加わる白狐
慶徳稲荷神社 祭の日程 ※行事の進行により若干時間が前後する場合があります
国指定に至るまでの経緯
昭和63年3月22日:福島県無形民俗文化財 指定
平成27年3月 2日:記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 選択
平成27年4月 1日:会津の御田植祭に関する協定書締結(喜多方市・会津美里町)
会津の御田植祭調査委員会 発足 予備調査の実施
平成28~29年度 :本調査の実施
平成30年3月16日:「会津の御田植祭」調査報告書 刊行
平成31年3月28日:国重要無形民俗文化財 指定