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「慶徳稲荷神社の田植神事」が『記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』に選択するよう答申されました

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月21日掲載

平成27年1月16日に開催された国の文化審議会において、本市の「慶徳稲荷神社の田植神事」が会津美里町の「伊佐須美神社の田植神事」とともに「会津の御田植祭」として、『記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』に選択するよう答申されました。
会津地方で選択されるのは、平成10年の「会津の初市の習俗」(会津若松市)、平成11年の「冬木沢参りの習俗」(会津若松市)以来となり、県内では19件目となります。
今後は、国の補助を受けながら、神事の詳細調査を実施し、調査報告書や映像記録の作成を行っていきます。

平成27年1月16日に開催された国の文化審議会において、本市の「慶徳稲荷神社の田植神事」が会津美里町の「伊佐須美神社の田植神事」とともに「会津の御田植祭」として、『記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』に選択するよう答申されました。
会津地方で選択されるのは、平成10年の「会津の初市の習俗」(会津若松市)、平成11年の「冬木沢参りの習俗」(会津若松市)以来となり、県内では19件目となります。
今後は、国の補助を受けながら、神事の詳細調査を実施し、調査報告書や映像記録の作成を行っていきます。

指定名称・保護団体

 名 称:会津の御田植祭り(あいづのおたうえまつり)

 団 体:慶徳稲荷神社お田植まつり保存会(喜多方市)、御田植祭祭典委員会(会津美里町)

※『記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』とは?

 国が指定する重要無形民俗文化財以外の無形民俗文化財のうち、特に必要があるものを文化庁長官が選択するもので、これに選択された場合には、報告書や映像等による確実な記録保存を図ることとなります。

「慶徳稲荷神社の田植神事」について

 「慶徳稲荷神社の田植神事」は、「慶徳のお田植祭り」として会津一円では特に3枚の写真知られるお祭りで、毎年「半夏生(はんげしょう)」の日に行われます。半夏生の日は通常7月2日ですが、閏年は7月1日となります。神事は、社殿における祝詞奏上(のりとそうじょう)・田植歌の奉納、御輿渡御(みこしとぎょ)と進行します。御輿が神田に着くと、「デコ」と呼ばれる田植人形を畔に立て、田植歌に合わせて、狐の面を持った子どもたちが苗を投げ入れ、早乙女たちが苗を植えます。会津地方は、全国にある田植神事の北限であるとされ、昭和63年に県の無形民俗文化財に指定されました。
 祭りのはじまりは、明応年中(1492~1501)に当地の地頭であった平田石見守(ひらたいわみのかみ)が神田を寄付し、田植歌に合わせて田植えをしたのがはじまりとされています。天正の乱(1582)で平田氏が滅んでからは氏子が田を寄付し、明暦2年(1656)まで祭りは続きました。その後、177年の中断はあったものの、天保5年(1834)に祭りは再興されました。
 『会津風俗帳』によれば、慶徳組の田植えには、歌と踊りがあったことがわかります。神事で歌われる田植歌は、「神社造立の民の歌謡」と文書にあり、500年ほど前に作られたと伝えられています。しかし、旋律については、200年近い中断があったため、忘れ去られてしまいました。このため、天保5年の再興にあたり、会津藩の音楽御用を勤めた浦上秋琴(遜ゆずる)が作曲を担当しました。早乙女踊りについても同様にわからなくなってしまったため、昭和57年頃、故佐藤貞子氏が創作し、現在では市立慶徳小学校児童により早乙女踊りが再現されています。