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会津新宮城跡の概要、発掘調査の成果について紹介します

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年11月4日掲載

所在地

喜多方市慶徳町字館内ほか
(JR喜多方駅より車で約10分、磐越自動車道会津若松ICより車で約30分)

東方上空より新宮城跡を望む
東方上空より新宮城跡を望む ※写真の転載はご遠慮ください。

概要

 会津新宮城跡は、福島県西部、会津盆地の北西部に位置しており、南北朝時代から室町時代前期に会津北部から新潟県の東蒲原郡方面に勢いをもっていた有力武士・新宮氏の城館跡である。
 城跡は、内堀と土塁(幅15~20m)を方形=口字状にめぐらした主郭(東西100~120m、南北120~130m)と、その外側を天然の谷を利用した外堀で囲む外郭からなり、城跡全体では東西約480m、南北約440mの規模となる。戦国時代以前の平地方形館跡としては東北地方でも有数の規模を誇り、文献史料と発掘調査の結果が一致するなど貴重な遺跡であるため、平成21年に国指定史跡に指定された。
 また、地区の方々のご尽力により遺構の保存状態も良好である。
 ※遺跡地内は私有地となります。見学の際は畑地内への立ち入りはご遠慮ください。

新宮城本丸跡
新宮城本丸跡 ※写真の転載はご遠慮ください。

会津新宮城跡発掘調査の成果

新宮城跡出土の中国産青白磁(顔面部の破片)
新宮城跡出土の中国産青白磁(顔面部の破片)
※写真の転載はご遠慮ください。

 長く巻いた鼻や牙から、象をかたどったと見られる。3本の牙があり、左右6本の牙になるが、6本牙の象は、仏教では普賢菩薩が乗る霊獣として扱われることから、この青白磁も仏教色の強い製品であると推察される。釉調や胎土は景徳鎮窯産の製品に最も近い。日本では他に出土事例が無いため、時期についての明確な判断は難しいが、出土した層は他の出土遺物からみて13~14世紀代であることから、この時期頃のものと思われる。象形の青白磁は国内初の出土であり、当時の高級品であろう。

新宮城跡井戸状木組遺構
新宮城跡井戸状木組遺構
※写真の転載はご遠慮ください。

 この木組遺構は新宮城跡主郭(本丸)の東南角、地下約1.2mより見つかっている。一辺2.7mの正方形で、検出された四隅に15cm角の柱を立て、柱間に9~12cm角の横桟を入れて組んでいる。四隅の柱は約4mが遺存しており、東側の2本は上を切り落とされ、西側の2本は上端が腐朽していた。横桟は約60~70cm間隔で6段組んでおり、上の3段目までは中桟を入れている。中桟は南北方向に入れているが、2段目は十字状に東西方向の桟を組んでいた。木組の周囲は長さ約2~2.2m、幅約24~30cm、厚さ2~3cmの縦板を上下2段に巡らしており、全体を一辺2.7m、高さ約3.6mの箱形としている。
 木材はいずれも工具で削った痕が良く残り、極めて堅牢に組まれていた。時期は木組内外から出土した磁器、土器からみて13世紀後半から14世紀代(鎌倉時代後半~南北朝時代)にかけての遺構とみられる。主郭の周囲を巡る土塁(敵を防ぐ土手)跡の下から見つかっていることから、新宮城の最も古い段階の遺構であることが判る。人為的に壊され埋められていることから、新宮城が本格的に城塞化される段階で廃棄された可能性がある。このような方形木組遺構は鎌倉時代から南北朝期の井戸跡に類似例が多いが、中桟を十字に組む構造や一辺2.7mという大きさは中世の遺跡では事例がなく、構造的には国内初、規模では最大級となるため、通常の井戸ではなく、儀式などなにか特別な使い方をするものであった可能性が高い。

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