喜多方の染型紙(会津型)について紹介します
喜多方蔵の里展示「会津型」 ※写真の転載はご遠慮ください。
会津の染型紙と関係資料について (県有形民俗文化財)
江戸時代、伊勢白子で作られていた型紙は、全国的に販売網を確立していたが、その後は株組織も崩れ、京都、江戸、さらに当地へ伝わることになる。
安政六年(1859)、小野寺家は会津藩から染型紙商と兼業漆器業の公認を受けたが、当地には良質の和紙や柿渋が豊富であったこともあり、幕末から大正期に最盛期を迎え、東北一円に販売網を広げ、昭和10年頃まで続いた。
型紙を丹念に観察することによって、東北地方の着物の柄と流行がわかり、あわせて東北地方の衣文化の発展過程を知ることができるといわれている。
小野寺家から喜多方市へ寄贈された型紙36,925点、原画565点、古文書類43点、商印11点、道具類等47点が県重要文化財に指定された。
(「喜多方市文化財ガイドブック」喜多方市教育委員会 35ページより)
※喜多方蔵の里「旧井上家穀物蔵」(喜多方市字押切2-109)<外部リンク>に一部を展示しています。【有料】
※歴史・民俗資料としての利用や商業利用等をご希望の方は、こちらのページをご覧ください。
※「広報きたかた」令和2年7月号で、会津型について紹介しています。掲載記事は、こちらのページをご覧ください。
PDF版:広報きたかた令和2年7月号(P1~11) [PDFファイル/5.86MB]
「喜多方の染型紙」(1994年)、「喜多方の染型紙II」(2000年) ※非売品