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2019年9月23日 「会津藩 塩川本陣 白虎隊士 飯沼貞吉 記念碑除幕式」

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年12月2日更新

  本日ここに、「会津藩 塩川本陣 白虎隊士 飯沼貞吉翁 記念碑除幕式」が盛大に挙行されるにあたり、一言ご挨拶を申し上げます。
 白虎隊の会の皆様におかれましては、平成22年に会を結成されて以来、これまで白虎隊自刃理由説明板を設置したのをはじめ、白虎隊士生家跡への石碑の建立など、白虎隊の義を後世に伝える活動をとおして、会津の歴史文化の振興に大きく寄与されておりますことに、心から敬意を表する次第であります。
 記念碑が建立されます喜多方市塩川町は、国指定史跡古屋敷遺跡、県指定の別府の一里塚や、木造如意輪観音坐像、中ノ目念仏踊りなど、貴重な文化財が数多く残されている地域であります。
 また、江戸時代には、若松と米沢を結ぶ米沢街道の宿駅に定められるとともに、阿賀川を利用した舟運の中継地として栄えるなど、会津藩の物流の中心地として発展してきた町であります。
 さて、今から151年前の慶応4年秋、喜多方地方の各地でも会津藩士と新政府軍との間で戦闘が起こっておりましたが、日々戦火が激しさを増すなか、旧暦8月23日には、飯沼貞吉を含む白虎隊の士中二番隊20名が飯盛山で自刃するに至りました。
 この東邦銀行塩川支店の場所にあった近江屋は、救助され一命をとりとめた飯沼貞吉が治療を受けた、ゆかりある場所であります。
 白虎隊の会および関係者の皆様のご努力により、この場所に飯沼貞吉翁の記念碑が建立(こんりゅう)されますことは誠に意義深いことであり、これを機に、白虎隊の義を後世に伝える活動の輪が、ますます広がることをご期待申し上げます。
 結びとなりますが、白虎隊の会の皆様をはじめ、ご協力を賜りました東邦銀行塩川支店など、関係者の皆様のご尽力に心よりの敬意を表し、あいさつといたします。

 


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